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Interview — #05

らせん階段を上った先にあった、人生のパズル。
——あの日、被災地で教わった「未来の守り方」

ツアーコンダクター 市川 リヒロ

思い通りにいかない配属、突然の組織改編、そして大切な人との別れ。一見すると、翻弄されているようにしか見えない道のりも、すべては未来の誰かを笑顔にするための「必要なピース」だったのかもしれません。「キャリアデザインなんてできなかった」と語る市川リヒロさんが、60歳を過ぎて辿り着いた、過去のすべてを肯定できる生き方とは。

Tour Conductor — Rihiro Ichikawa

About this story

不本意な異動も、突然の別れも、すべてが今に繋がっている。60歳を過ぎて見つけた「過去のすべてを肯定できる生き方」の核心に迫ります。

市川リヒロさん インタビュー01
01

「人生真っ暗」からの出発。
理系エンジニア志望を打ち砕いた、
営業配属という試練

新卒で入社されたとき、最初はどのようなお仕事に就かれたのですか。

最初はコンピューターメーカーに入ったんです。元々は理系の大学院まで出たので、当然エンジニアの仕事ができると思っていました。ところが、いきなり配属されたのは営業職だったんですよ。当時の自分にとって営業は、口先だけで仕事を取ってくるような少し軽いイメージがあって、自分の人生が真っ暗になったように感じて落ち込みました。友達にも営業をやっているなんてしばらく話せなかったほどです。

それでも続けていくうちに、少しずつ見方が変わってきました。技術的なバックグラウンドがあるからこそ、お客様である技術者の悩みも理解できるし、商談も深く踏み込める。最初はあんなに嫌だった営業職ですが、そこで培った対話力が、今の活動の大きな土台になっているんです。

02

度重なる組織の改編と早期退職。
翻弄されたキャリアが授けてくれた
「多才な武器」

その後、社内ではどのような道のりを歩まれたのですか。

やっと営業として自信がついてきた頃、会社が巨大合併をして組織が一つになったんです。そこで余剰人員として営業から外され、未経験のマーケティングへ回されることになりました。一から学び直してやっと慣れてきたと思ったら、今度はマーケティング組織が解体。最後は経営企画へ移り、54歳の時に早期退職という形で会社を離れることになりました。

その後、半年ほどかけて自分のスキルが100パーセント生きる通信機器の会社へ転職しました。そこはすごくスムーズに仕事ができたのですが、逆に自分としての成長の余地がないようにも感じてしまって。振り返れば、不本意な異動も環境の変化もすべてが今の自分には欠かせない経験になっています。自分が望んだキャリアデザインではなかったけれど、たまたま与えられた場所で必死に吸収したことが、今の自分を助けてくれている。悪かったように見える出来事も、結果的にはすべてが良い方向へ繋がっていました。

市川リヒロさん インタビュー02
悪かったように見える出来事も、
結果的にはすべてが良い方向へ繋がっていました。
ボランティア活動報告書
03

三人の同僚との早すぎる別れ。
悲しみが「現場へ行く」という
悔しさへ変わった瞬間

ボランティア活動を始められたのは、何がきっかけだったのでしょうか。

40代後半の時、一年半の間に同い年の同僚三人が相次いで亡くなったんです。新年会を約束していた週末に急死したり、入院してわずか一ヶ月で逝ってしまったり。最初は悲しかったのですが、三人目にもなると「なんでこいつらが」という悔しさがこみ上げてきました。その直後に起きたのが、東日本大震災でした。

テレビで津波の風景を見たとき、自分の心にある「悔しさ」と何かがシンクロしたんです。行かなければいけない、という強い衝動に駆られました。当初は道具を揃えるなら寄付した方がいいのかと迷いもありましたが、会社の同僚とボランティア派遣に参加したのが始まりでした。現地で目にしたのは、昨日津波が来たかのような悲惨な光景。これは一回きりでは終われない、継続して来なきゃいけないと心に決めました。

04

4日間の泥かきと、
バスの中での調整。
人助けの時間が「旅行業」の種を蒔いていた

長年続けられたボランティアの経験が、今の活動にどう繋がっていますか。

ボランティア活動では、バスの中で皆さんに心構えを説明したり、現地のセンターと日程の調整をしたりする役割を担っていました。2017年まで毎月のように東北へ通いましたが、その時に夢中で取り組んでいた皆さんの案内やスケジュールの管理が、今の添乗員の仕事と驚くほど重なっていたんです。まさか人助けをしていた経験が、定年後の自分を助けてくれることになるとは思いもしませんでした。

実際、ツアー添乗員の仕事を始めてみると、不思議なほど自分に合っていると感じたんです。サラリーマン時代のBtoBの仕事とは違い、目の前のお客様が笑顔になってくれる。東日本大震災だけでなく、熊本や能登の現場で培ってきた経験が、今の自分の「仕事」としての輪郭をはっきりと形作ってくれました。

市川リヒロさん ツアー風景
市川リヒロさん インタビュー05
05

「不満があるなら自分でやれば?」
妻の鋭い一言が、
60歳からの独立を加速させた

定年後、組織に属さないという道を選ぶことに迷いはありませんでしたか。

定年を機に再雇用で働く選択肢もありましたが、給料が下がる中で現状維持をするよりも、自分の力を試してみたいという気持ちがありました。ちょうど家のローンも終わり、子供も独立したタイミングだったことも大きかったです。そんな時、妻と旅行をしていて添乗員さんの案内に「自分だったらこうするのに」とこぼしたら、「じゃあ自分でやればいいじゃない」と一蹴されまして(笑)。

その一言で、踏み出す決心がつきました。現在は旅行業の登録申請も済ませ、自分の会社でツアーを企画する準備を進めています。もし家族の理解がなかったり、家のローンが残っていたりしたら、この選択はできなかったかもしれません。周りの支えとタイミングが重なり、ようやく自分らしい挑戦が始まりました。

目の前のピースを必死にはめてきたことで、
今の景色に辿り着けました。
06

「あの日」の後悔をギフトに変えて。
被災地の声を、誰かの命を守る
「未来の話」として繋ぐ

これから始まるインバウンドツアーを通じて、伝えたいメッセージを教えてください。

被災していない場所に住む人にとって、災害はどうしても「過去の話」になりがちです。けれど、被災した方々は「あの時こうすれば良かった」という深い後悔を抱えながら、同じ思いを誰にもさせたくないと語り続けています。まだ被災していない私たちにとって、その教訓は、これから起こるかもしれない「未来の話」なんです。

広島の平和記念資料館に多くの外国人が訪れるように、東北の地で起きたことを学び、誰かが生き残るための知恵に変えていく価値は非常に高いと感じています。その橋渡しをしていくことが、私にしかできない恩返しだと思っています。

市川リヒロさん インタビュー06
市川リヒロさん インタビュー07
07

過去を棚卸しして、次の一歩へ。
キャリアの「らせん階段」を上るための道標

今、不遇な環境にいる人や、これからの生き方に悩む方へアドバイスをいただけますか。

まず、自分がやってきたことを一度丁寧に「棚卸し」してみてほしいんです。できることを見つけるのは難しくても、やってきたことは動かせない事実ですから。細かく分解していくと、意外なところに光るスキルが隠れているはずです。今の不本意な状況も、いつか必ず別の形で生きてくる日が来ます。私自身、営業に向いていないと絶望していましたが、今ではそのスキルこそがお客様の笑顔を生む原動力になっていますから。

大切なのは、とにかくまず動いてみること。やってみてダメだったら、その時やめればいいんです。コロナ禍での散歩が地元の魅力を再発見させてくれたように、どんなネガティブな状況にも必ずポジティブな側面は隠れています。私はこれまで一度もキャリアデザインができたことはありませんでしたが、目の前のピースを必死にはめてきたことで、今の景色に辿り着けました。これからも変化を楽しみながら、一段ずつ、らせん階段を上るような人生を歩んでいきたいですね。

Message

やってみてダメだったら、
その時やめればいい。

今、不遇な環境にいる人や、これからの生き方に悩む方へアドバイスをいただけますか。

キャリアデザインなんてできなくていい。

自分がやってきたことを丁寧に棚卸ししてみてください。不本意だった経験の中にも、必ず光るスキルが隠れています。大切なのは、とにかくまず動いてみること。目の前のピースを一つずつはめていけば、いつか必ず、らせん階段の先に広がる景色が見えてくるはずです。

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Afterword

市川さんの話を聞きながら、私は何度も「人生に無駄な経験なんてない」という言葉の本当の重みを感じていました。望まなかった営業配属、繰り返された組織改編、同僚との突然の別れ——それらを「不運だった」と片付けることは簡単です。けれど市川さんは、そのすべてを「今の自分に必要なピースだった」と静かに肯定されていました。
被災地で泥をかき出していた日々が、まさか定年後の天職へ繋がるとは、ご本人ですら想像していなかったという事実。それは、目の前のことに誠実に向き合い続けた人だけが手にできる、人生からの贈り物なのだと思います。60歳を過ぎてなお、新しいらせん階段を上り続ける市川さんの背中が、「まだ遅くない」と、そっと背中を押してくれているようでした。

筆者画像

秋田 信明 Nobuaki Akita

Wakku Inc. CEO|wakkul

SI・Web業界での28年の実務経験を経て、現在はセルフプロモーションサービス wakkul(ワックル) の企画・設計・運営を手がける。モデル・職人・料理人・エンジニアなど、あらゆる分野で技と物語を持つ人が自分らしく世界へ発信できる場づくりをテーマに、戦略と技術の両面から取り組んでいる。

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